お蚕さまからのたより|Vol.8 中国から日本、ヨーロッパへ。冬虫夏草は世界で注目されてきたキノコ
天虫花草の原料として使用している国産カイコハナサナギタケ冬虫夏草。そもそも冬虫夏草は古くから人々の健やかな暮らしを支えてきたキノコです。栄養源は虫…と言うと、ちょっとびっくりされてしまうかもしれませんが、そのパワーがずっと以前から世界の人々に注目されてきました。今日は、冬虫夏草そのものの歴史を少し深掘りしてみましょう。
1.始皇帝、楊貴妃など中国の権力者が注目
2.中国での利用法がヨーロッパで紹介される
3.江戸幕府に献上された冬虫夏草も
1.始皇帝、楊貴妃など中国の権力者が注目
「冬虫夏草」という名前は中国でつけられました。もともとは中国の標高3000m~5000mの高山帯でみられる「シネンシストウチュカソウ」につけられた名前です。シネンシストウチュカソウの宿主はガの幼虫ですが、現在、日本では、さまざまな昆虫から生じるキノコを冬虫夏草と呼んでいます。
この冬虫夏草を、兵馬俑で有名な秦の始皇帝や唐代の楊貴妃が求めたというエピソードは以前からご紹介している通り。
中国では古来より注目されていて、清(1616~1912)の雍正帝(1678~1735)や乾隆帝(1711―1799)の時代に薬剤として使われるようになったと言われています。中国の冬虫夏草が海外へと渡り始めたものこのころです。
2.中国での利用法がヨーロッパで紹介される
フランスの伝道師がパリに300種類以上の薬剤を中国から持って行ったとか、フランス科学院の学術界でシネンシストウチュウカソウが展示され「中国の御医のみが用いる薬用珍品」と紹介されたとか。また、イギリスでも中国産のシネンシストウチュウカソウが、清朝宮廷の御膳に用いられること、また強壮品として人々が利用していると紹介されるなど、その外見と利用方法に、ヨーロッパでも興味津々だったようです。
3.江戸幕府に献上された冬虫夏草も
日本に中国の冬虫夏草が渡ってきたのもこの頃という説も。江戸時代後期の医師で本草学(中国の薬物学)者の栗本丹州という人が書いた『千蟲譜』には、冬虫夏草の項目があり、享保元(1716)年に江戸幕府に献上され、これが中国から日本へ持ち込まれた冬虫夏草の初めであると書かれているそう。ちょうど享保元年に将軍になったのが、テレビドラマ“暴れん坊将軍”でおなじみの徳川吉宗。さすがの吉宗公も冬虫夏草を見て驚いた……かも、しれませんね。
今では、日本でも400種類の冬虫夏草が確認され、技術の進歩により、培養することもできるようになりました。天虫花草の原料であるカイコハナサナギタケ冬虫夏草は福島県棚倉にある工場で、人の手で培養しています。人々の健やかな暮らしへの思いはこうした歴史を経て現代につながっています。
参考図書
・日本冬虫夏草の会編『採集・観察・分類・同定、効能から歴史まで240種類 冬虫夏草生態図鑑』(2014年、誠文堂新光社)
・奥沢康正著『冬虫夏草の文化誌』(2012年、石田大成社)