お蚕さまからのたより|VOL.29 戦後に「七転び八起き」の復興を願って、石鹸達磨を奉納した京都・「法輪寺」
今回は天虫花草を製造・販売している第一工業製薬ゆかりの「法輪寺」(京都市・上京区)をご紹介します。第一工業製薬の創業者の一人、小野茂平に始まり、現在まで受け継がれてきた「七転び八起き」の精神のお話です。
目次
1.第一工業製薬とだるま寺
2.8000体のダルマに込めた復興への想い
3.ふたつの庭園を持つ紅葉の名所
1.第一工業製薬とだるま寺
第一工業製薬の歴史は1909年(明治42年)にまで遡ります。原点は、現在の京都駅の北側。西本願寺の門前で400年以上も続く線香店「負野薫玉堂」の裏側に小屋を建てたのが始まりでした。
創業者は、技術者の中村嘉吉郎、負野薫玉堂の当主・負野小左衛門、絹織物業の会社に勤めていた小野茂平の3人。彼らは後に「シルクリーラ―」と呼ばれることとなる「蚕繭解舒液(さんけんかいじょえき)」を開発します。これは絹糸を作る際に繭を洗う工業用薬剤で、呉服業が盛んであった京都の発展を支えました。
そして今回ご紹介するのは、創業者のひとりである小野茂平の菩提寺、法輪寺です。JR嵯峨野線、円町駅のほど近くにあり、「だるま寺」と呼ばれて地域で親しまれています。
2.8000体のダルマにこめた復興への想い
法輪寺の創建は1727年(享保12年)。万海慈源(まんかいじげん)が大愚宗築を開山とした、臨済宗妙心寺派の寺院です。「だるま寺」と呼ばれている理由でもある境内の「起き上り達磨堂」には、全国から奉納されたダルマ、約8000体が祀られています。「七転び八起き」と言われるように、何度転んでも起き上がる不屈の精神を想起させるダルマ。これら、約8000体のだるまは、第二次世界大戦の戦後復興を願って奉納されたものです。小野茂平は京都の財界人でつくられた「起き上がりだるま会」の一員でもあり、熱心に禅の教えを学んでいました。
第一工業製薬(ゲンブマルセル石鹸)からも1958年(昭和33年)、石鹸でかたどった達磨を奉納しています。「身をすり減らして、清める石鹸はだるまの精神を如実に表わしている」とご住職はおっしゃいます。
3.ふたつの庭園を持つ紅葉の名所
法輪寺は紅葉の穴場スポットとしても知られています。本堂の東側には「十牛の庭」、南側には「枯山水の庭」があり、季節ごとに美しい姿を見せてくれます。秋が深まると色づいた紅葉とだるまとのコラボレーションはもちろん、地面に広がった緑の苔とのコントラストも楽しめます。
私たち、第一工業製薬は小野茂平をはじめ、3人の創業者の想いを受けつぎ、まさに「七転び八起き」の精神で現在に至ります。法輪寺はその想いに触れることができる場所で、第一工業製薬が創立した8月には毎年欠かさずお参りを続けています。
いよいよ秋深まる京都。お越しの際には、法輪寺で紅葉を愛で、石鹸達磨にお参りしてみませんか。きっと心清らかに、そして不屈の精神が湧いてきますよ。
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明日はもっと、豊かな自分に。
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