お蚕さまのたより|vol.5 宮沢賢治の夢、鈴木幸一の夢
カイコハナサナギタケ冬虫夏草の研究を長年続けた故鈴木幸一氏。
岩手大学名誉教授であり、バイオコクーン研究所フェローとして研究を続けたその心には、いつも敬愛する作家・宮澤賢治の姿がありました。
今日は天虫花草の生みの親、鈴木氏の思いをお届けします。
目次
1.宮澤賢治が通った校舎が残る大学で
2.岩手の文化「よーさん」を受け継いで
3.賢治と鈴木氏の思いを結ぶ養蚕イノベーション
1.宮澤賢治が通った校舎が残る大学で

かつて宮沢賢治が学んだ旧盛岡高等農林学校の校舎は、大正元年、青森ヒバを材料に木造2階建てで建設されました。
現在は岩手大学農学部附属の農業教育資料館となっています。
若き日、同じ農学部に入学した鈴木氏は、幼い頃から好きだった昆虫の研究を始めました。
いつしか蚕の研究者となり、天蚕の卵の孵化を研究し1986(昭和61 )年に自在に孵化を操る技術を確立しました。
普通の生糸よりも価値の高い天蚕でしたが、高額な着物が売れる市場はすでにありませんでした。
しかしこの研究により、後年、冬虫夏草の一種であるハナサナギタケと出会い、ナトリード発見につながったのです。
2.岩手の文化「よーさん」を受け継いで

鈴木氏が敬愛してやまない宮沢賢治は文学、科学、宗教と異なるそれぞれの分野で類まれな才能を持ち、貧しい人々や農家の人々のために短い人生を生き抜きました。
実は、賢治最古の文章として、尋常小学校4 年生の時の綴り方が残されています。
イーハトーブと賢治が名付け愛した岩手の豊かな文化。
その一つである「よーさん」で始まる一文を見て、賢治の心を受け継ぐことこそ、使命と感じたといいます。
「37 歳で亡くなる前夜まで、農家の人の相談を受けていました。『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』と賢治は『農民芸術概論綱要』で記しています。私もカイコハナサナギタケ冬虫夏草のナトリード®で、人類に貢献します。残りの命をかけて21 世紀の養蚕を確立したいです」。
そう鈴木氏は生前、話していました。
3.賢治と鈴木氏の思いを結ぶ養蚕イノベーション
鈴木氏が目指した非繊維型の養蚕イノベーション。
今、その鈴木氏の志はバイオコクーン研究所、そして第一工業製薬に受け継がれています。
そして天虫花草という形で世に送り出されました。
鈴木氏の夢、21世紀の養蚕の確立は、もうすぐそこまで来ています。
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明日はもっと、豊かな自分に。
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